高野坂
田辺から東に紀伊山地に分け入り、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を巡拝するルート。平安時代から鎌倉時代にかけて、上皇・貴族たちが熊野三山を目指した「熊野御幸」では公式参詣道として使われました。道中には九十九王子と呼ばれる神社があり、古の人たちはそこで休憩したり歌詠みを行ったりしたそうです。新宮市内には山道の「大雲取越」と「小雲取越」、新宮市と熊野那智大社を結ぶ海辺の「高野坂」、そして熊野川を川舟で下る「川の熊野古道」の4つの中辺路が通っています。
「中辺路」の各地詳細情報のお問い合わせは
・新宮市観光協会 0735-22-2840
・JR紀伊勝浦駅前 観光案内所 0735-52-5311
・熊野本宮観光協会 0735-42-0735
・(公社)和歌山県観光連盟 073-422-4631
百閒ぐら
つぼ湯
熊野川舟下り
三重県の伊勢神宮から熊野三山へ通じる総延長約170kmの参詣道。近世、伊勢参宮のあとに西国巡礼の人がよく利用しました。新宮市には、道の駅パーク七里御浜付近からスタートし、海岸線を行く「浜街道(南)」と、志古バス停から山の中へ入り、万才峠を越えて中辺路の小雲取越と合流する「本宮道」の2つのルートが通っています。
「伊勢路」の詳細情報のお問い合わせは
東紀州地域振興公社 0597-89-6184
松本峠の石畳
風伝(ふうでん)おろし
丸山千枚田
真言密教の総本山・高野山と熊野本宮大社という二大聖地を最短距離で結ぶ参詣道。総延長70kmにおよび、伯母子峠、三浦峠、果無峠と3つの1000m級の峠を越えて熊野本宮大社へ向かうルートです。アップダウンの激しい難所ですが、石畳や丁石が多く残され、果無峠では三十三体の観音石仏が迎えてくれて、登山者の疲れを癒やしてくれます。一般的に4日間かけて踏破します。
「小辺路」の詳細情報のお問い合わせは
十津川村役場 企画観光課 0746-62-0004
高野山根本大塔
水ヶ峰からの眺望
十津川温泉
紀伊半島を背骨のように走る大峰山脈の北端・吉野山と、南端・熊野をつなぐ大峯奥駈道は、もとは修験者が平安時代から修行の場として開いた山岳縦走路です。総延長約170kmあり、一般的に5~6日間かけて踏破します。玉置神社~熊野本宮大社間の一部ルートは新宮市北端と奈良県の県境を通っています。
※難所も多い厳しい参詣道です。一般の登山道ではありません。
入山される場合は十分な事前の計画、準備をお願いします。
金峯山寺
釈迦ヶ岳の紅葉
玉置神社
大辺路は時間に余裕のある庶民や文人墨客が枯木灘や熊野灘の風景を愛でながら歩いた道で、田辺市から那智勝浦町の浜の宮まで92kmの区間です。江戸時代初期には紀州藩により一里塚が沿線に築造され、藩主や三宝院門跡の大行列もこの道を通過しました。大辺路は四十八坂と称されるほど急坂や小坂が多く、往時の景観を遺しているところも少なくありません。
「大辺路」の詳細情報のお問い合わせは
(公社)和歌山県観光連盟 073-422-4631
「紀伊路」は、熊野信仰が栄える以前から飛鳥や奈良の都より天皇が行幸した街道でもあり、沿道で詠まれた歌が数多く、万葉集に収められています。区間は大阪から田辺市で、雄ノ山峠、藤白峠、拝ノ峠、鹿ヶ瀬峠など、和歌山市から有田郡にかけて険しい山越えを経て、日高郡から現在の国道42号やJR紀勢本線と並行もしくは重複する海岸ルートを南下します。
「紀伊路」の詳細情報のお問い合わせは
(公社)和歌山県観光連盟 073-422-4631