熊野川を背にして鎮座する朱色の社殿の熊野速玉大社。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の夫婦神を主祭神とし、十二柱の神々が祀られています。熊野速玉大神は水の動きを神格化したものと考えられ、雄大な熊野川の河口にある新宮市を象徴するかのようです。境内には平重盛公お手植えと伝えられる、国の天然記念物の巨大なナギの木や、檜扇など1000点を超える国指定文化財を所蔵した熊野神宝館もあります。
古の人々が京都から数百キロの道のりを歩いた熊野詣で、最初に辿り着くのが熊野本宮大社です。桧皮葺きの社殿は威厳に満ちていながら、訪れる人を優しく包み込むような温かさがあり、後鳥羽上皇のお供でここを訪れた藤原定家は、『名月記』において「感涙禁じ難し」と心境を記しています。主祭神は家都美御子大神(けつみこのおおかみ)。元の社殿は3つの川の合流点の中州にありました。かつて社殿が鎮座した場所は大斎原(おおゆのはら)と呼ばれ、高さ34mの日本一大きな鳥居がそびえています。
南方熊楠(みなかたくまぐす)が伐採に反対し守り抜いた、樹齢数百年の大樹がそびえる大門坂。そこからさらに473段の石段を登りようやく社殿に到着。拝殿前の広場からは、那智参詣曼荼羅絵解きそのままの空中都市が広がります。主祭神、熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)をはじめ、十三の神が祀られる権現造り社殿の隣には、西国三十三ヶ所の一番札所・那智山青岸渡寺の本堂がならび建ちます。さらに北へと進むと、彼方に那智大滝が見え、広大な境内はまるで曼荼羅絵図のように壮麗です。
第65代天皇・花山天皇が永延2年(988)に御幸され、西国三十三ヶ所第一番札所として定めたと伝えられ、今でも多くの参詣者が訪れています。ご本尊の如意輪観世音像は、仁徳天皇の時代、インドから渡来した裸形上人が、那智滝の滝壺で見つけ安置したものだそうです。如意輪観世音を祀る本堂は天正18年(1590)に豊臣秀吉が再建し、桃山時代の建築様式を色濃く残しています。本堂後方には朱色の三重の塔がそびえ、那智の滝との調和が美しく、人気の撮影スポットとなっています。
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